私の愚痴からみる日本史1 クリスマス

テーマ史

もうすぐ12月。

「クリスマスなんて大嫌いだ」で始まる歌も「なんちゃって」で終わる今日この頃。老いも若きも、猫も杓子も、これから日本列島全体がクリスマスムードとなる。

それでも私、クリスマスなんて大っ嫌い。

理由は、青少年時代を通じて異性に全くモテなかったというのも確かにある。歴史オタクで根暗な私に華やかな青春時代などあろうはずがない。

しかし、それだけではない。それ以上に、日本のクリスマスに何とも言えない軽佻浮薄さを感じるからだ。はっきり言えば、意味のないバカ騒ぎをしているだけのように思えるからだ。

皆さんは日本のクリスマスにどのようなイメージを持たれるだろうか?私の場合はこうだ。

家族の場合、クリスマスツリーやクリスマスリースを電飾とともに飾り立て、フライドチキンとクリスマスケーキを囲み、家族だんらん、和気藹々と過ごす。そして、子供達にはサンタさんからのプレゼント。

恋人同士の場合、イルミネーションを見ながら、ちょっとしたディナーを楽しみ、クリスマスプレゼントを交換。愛をささやきあう。

・・・書きながら反吐が出そうだが、概ねこんなところか。

しかし、こうした行為やイメージはいつ頃から始まったのか?そしてその起源はどのようなものだったのか?

そこで人類史という堅苦しいテーマから一旦それて、今回から複数回に分けて、クリスマスの歴史についてまとめてみようと思う。

第一回目は、ずばりクリスマス。いってみよう。

クリスマスの起源は「政治的」だった

「クリスマス」とは、キリスト教においてイエス・キリストの降誕祭(誕生を祝う日)であり、復活祭に次ぐ重要な記念日だ。

しかし、そのルーツは極めて政治的な思惑に満ちている。キリストの実際の誕生日は聖書にも明確に記されていない。

なぜ12月25日になったのか?

これは、古代ローマ帝国の頃に一般的に行われていた、冬至に太陽の復活を祝う祭り(ソル・インウィクトゥス(不滅の太陽)祭やミトラ教の祭りなど諸説あり)を、キリストの誕生に置き換えた、というのが有力な説である。

キリスト教がローマ帝国に広がり、国教化されていく段階において、すでにあった祭りの習慣(異教の慣習)を否定するのではなく、それを受け入れ、それにキリスト教的な意味付けを与えることで、スムーズにキリスト教の教えを広げていったわけだ。

つまり、クリスマスの普及は、国教化に伴う布教活動という、極めて政治的な色彩を帯びたものだったと言える。

世界のクリスマス:宗派による違い

当初政治的色彩を帯びたクリスマスであったが、キリスト教の浸透とともに、宗教行事として深く浸透していく。ただし、宗派によってその扱い方には違いがある。

宗派12月25日の位置づけ特徴的な慣習
カトリック最大の祝祭日の一つ。盛大なミサが行われる。24日の夜から祝祭が始まり、25日は厳かに礼拝。バチカンで教皇のミサが行われる。
プロテスタント祝祭日だが、カトリックほど大規模な祭事ではない場合が多い。厳粛な礼拝を重視。華美な装飾を排し、聖書の朗読や賛美歌が中心となる教会もある。
正教会ユリウス暦に従うため、1月7日に祝うのが一般的。(国による例外あり)厳格な断食期間を終えた後、壮大な奉神礼が行われる。

宗派によってスタンスや内容に違いがあるものの、欧米圏のクリスマスは、宗教儀礼をベースとして、その上に家族の団欒という要素が乗っている。

ここが日本の「バカ騒ぎ」するクリスマスとの根本的な相違点である。

日本におけるクリスマスの商業化の歴史

では、日本のクリスマスが、現在の形になるまでの歴史を追っていこう。

キリスト教の伝来とクリスマス(戦国時代〜江戸時代)

  • 戦国時代: 宣教師によってキリスト教と同時に伝来。大村純忠・有馬晴信といったキリシタン大名が、個人的信仰や、領民・宣教師に対する政治的なメッセージとしてミサや慈善活動を行ったが、普及は極めて限定的であった。
  • 江戸時代: 禁教政策によりクリスマス文化は途絶。わずかにオランダとの交流があった出島では「阿蘭陀冬至」といった形で洋風の冬の慣習が知られる程度であった。

銀座のデパート文化から始まった「消費のクリスマス」

明治以降キリスト教が解禁されても、クリスマスは主に外国人居留地や教会で行われるイベントであり、庶民にとってはまるで関係のないイベントであった。

変化が起こったのは明治時代中ごろからである。客寄せの手段としてイルミネーションとクリスマスが用いられるようになってからだ。

  • 1886年: 横浜の明治屋が日本の商業施設として初めてクリスマスツリーを飾る。この頃から徐々に知識人などにクリスマスが浸透し始める(例:正岡子規もクリスマスの俳句を複数詠んでいる)。
  • 1904年頃: 明治屋が銀座に進出し、華やかなイルミネーションを行う。これがイルミネーションの先駆けとなる。これに倣って他のデパートもイルミネーションを行うようになった(歌人木下利玄も1912年に「明治屋のクリスマス飾り灯ともりて煌(きらび)やかなり粉雪降り出づ」と歌っている)。

ここで、イルミネーションとクリスマスそして歳末商戦が結びつき、年末の風物詩としてのクリスマスが銀座のデパート文化の中から誕生した。

さらに、第一次世界大戦で欧州が疲弊した際、日本でアメリカ向けのクリスマス消費財が大量生産され、クリスマス用品生産国世界1位となったことから、クリスマスを「消費」の概念として庶民に普及させるきっかけとなった。

日本のクリスマスは、宗教儀式ではなく、「デパートの集客」と「アメリカへの輸出産業」という、極めて経済的な側面から庶民へ普及していったのだ。

戦争の抑圧からの解放を意味する「クリスマス」

第二次世界大戦で禁止されたクリスマスであったが、戦後GHQの進駐とともに復活する。

【左】GHQ玄関前に飾られたクリスマスの看板(1945年)、【右】GHQによるクリスマスパレード(1948年) (出典:ジャパンアーカイブス)

1947年にはデパートのイルミネーションが復活した。これに伴い、クリスマスは戦後の「夜の娯楽」と強く結びつき、都市部のサラリーマンの忘年会の一環として受け入れられるようになった。

当時の資料からは、クリスマスを口実として、サラリーマンたちがバーやキャバレーで乱痴気騒ぎをする様子が盛んに取り上げられている。

【写真】1955年当時のクリスマスパーティーの様子(出典:ジャパンアーカイブス)

このように、クリスマスは伝統的な行事というよりも、戦後の抑圧から解放された都市生活者が夜を楽しむための機会として利用され始めたのだ。

大衆に浸透した「家庭クリスマス」の誕生

そして、クリスマス普及の決定打となったのが、高度経済成長期に起こった都市部への人口流入と核家族化である。

それまでは、村社会や拡大家族の中で、伝統文化や社会のつながりが受け継がれてきた。しかし、都市部へ人口が流入すると、こうしたつながりが断ち切られ、村祭りに代わる核家族としての新しいイベント創出が求められた。

そして、「家族だんらん」の演出として、不二家のクリスマスケーキや七面鳥の代わりとしてのケンタッキーフライドチキンなどがこれに便乗し、「家庭のイベント」として広く普及していったのだ。

女性の社会進出と「恋人とのクリスマス」

サラリーマンの娯楽から家族のイベントへ変貌したクリスマスは、さらに進化を遂げる。1970年代から女性の社会進出が盛んになり、それとともに自立した女性像がもてはやされるようになった。こうしたことを背景に1970年代からバブル期にかけてクリスマスは「恋人とのクリスマス」へ変化していく。

  • きっかけ: 『anan』『non-no』といった女性誌が1970年代初頭から恋人とのロマンチックな夜を盛んに煽り立てたことに始まる。
  • 決定打: 1983年12月23日に発売された『ananクリスマス特大号 今夜こそ彼の心(ハート)をつかまえる!』とされる。
  • クリスマスソングの変質: それまで讃美歌や反戦歌、家庭向けだったものが、「恋人の歌」へと変化していった。先駆的な例として、甲斐バンドの「安奈」(1979)、松任谷由実の「恋人はサンタクロース」(1980)、山下達郎の「クリスマス・イブ」(1983)などが挙げられる。

バブルでこの風潮は最高潮に達する。JR東海のCM(「シンデレラ・エクスプレス」)やティファニー、高級ホテルなどが、高額なディナーやプレゼントを恋人たちに煽り、「クリスマスは恋人と過ごすもの」「クリぼっちは負け組」という価値観を完成させた。

かくして、キリストの誕生を祝うはずの記念日は、「恋愛消費イベント」へと完全に変貌を遂げたのだ。私のモテなかったという個人的な愚痴を抜きにしても、これほどまでにキリストの誕生からかけ離れたクリスマスはないだろう。

バブル崩壊後下火となるクリスマス

バブル崩壊後、経済が低迷し、過度な恋愛至上主義が批判されるようになると、異常なまでに盛り上がった「恋人とのクリスマス」も徐々に下火となっていった。

まとめ

こうしてクリスマスの歴史を辿ってみると、2つの意外な事実に気付かされる。

イルミネーションを起点に発展した日本のクリスマス

日本のクリスマスは、徹頭徹尾、宗教的動機など一切なく、資本家たちの思惑によって動かされてきた。これはある程度想像通りであったが、日本でのクリスマス受容がイルミネーションから始まったのは意外であった。

それを踏まえると、クリスマス受容の起点に美しさやキラキラしたものに対する人間の憧れという普遍的なテーマがあったとも考えられる。この点から、日本のクリスマスの在り方をあながち否定ばかりはできないのではないか、と私は考えを改めるようになった。

権威が民衆の行動を規定するという事実

さらに、遡ればクリスマス自体が政治的な要請からキリスト教に導入されたという事実も見逃せない。

本ブログは、人類社会が「権威」「権力」「民衆」の3層構造で成立するという立場で歴史を解説しているが、この立場から考察すると、

  1. ローマ帝国時代の権威は、神=キリスト教であった。(参考リンク:ローマ帝国が築いた「インフラ」「法」「キリスト教」)
  2. 明治以降、日本にも「機能的権威」つまり資本主義が浸透する。特に戦後「天皇」という権威が低下すると権威は資本主義一辺倒になる。(参考リンク:多元化する「不安」と新たな「コントロール」の模索)

ここで「権威」とは、その社会の人々が「これは正しい」「これに従えばきっとうまくいく」と心から納得し、信頼している対象(人、組織、考え方、伝統、あるいは神など)を指す。これは、人々に自発的な行動を促す強力な影響力を持つものだ。(参考リンク:「不安」と「コントロール欲求」の物語)

つまり、社会における権威が民衆の行動を規定するという点では、ローマ帝国や欧米の宗教的クリスマスも、日本の商業主義的クリスマスも、例外なく同様の理屈で説明できる。この点からも、機能的権威(資本主義)が全盛である現代の日本で、クリスマス文化が深く浸透したのも理解できなくはない。

今回はクリスマス全体を見てきたが、次回以降はクリスマスを彩る個別テーマを見ていくとしよう。乞うご期待!

参考文献・サイト

木下純子「クリスマス消費の変容に関する研究」神戸大学学術成果リポジトリ

ジャパンアーカイブズ – Japan Archives

日本のクリスマスの歴史はいつから?なぜ日本で広まって定着したの?メディアサイト ヒラメキ工房

なぜ、そしていつ、クリスマスは恋人たちのものになったのか? 現代ビジネス

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