中東の現在2:米国覇権を支えた「ペトロダラー体制」

中東史

前回、第一次世界大戦後に英仏が引いた「人工的な国境線」が中東に歪みを残したことを解説しましたが、中東の現在を理解するには、もう一つ避けて通れない要素があります。それが「石油」です。

石油は、現代社会を動かす基幹的エネルギーであり、供給が止まれば、世界経済はたちまち崩壊します。そしてこの石油が、世界の基軸通貨である米ドルと結びつくことで、独特の国際秩序「ペトロダラー体制」が形成されました。

今回は、ペトロダラー体制を軸に、中東がどのように世界経済の中枢へ組み込まれ、それが地域に何をもたらしたのかを紐解いていきます。

科学技術が生み、資本主義を加速させる「石油」

本ブログでは、人類社会が権威・権力・民衆の三層構造から成ると解説していますが、第二次世界大戦後にアメリカが構築した国際社会において「権威」を担うのは、宗教や血統ではなく、科学技術・資本主義・メディアといった機能的な要素です。石油は、この科学技術や資本主義と切っても切れない関係にあります。

科学技術が生み出した石油の価値

かつて石油の使用は、アスファルトの材料、医薬品などごく一部に限られていました。ところが19世紀、近代化学の発展によって状況は一変します。蒸留技術の高度化と有機化学の進展により、石油は灯油・ガソリン・ディーゼル・重油、さらにはプラスチック原料へと成分ごとに精密に分解・精製できるようになりました。

この技術革新は、石油を単なる自然物から「戦略的資源」へと転換させました。石油化学は、合成樹脂や合成繊維など自然界に存在しない物質を大量生産し、衣食住を一変させます。さらに、天然ガスを原料とするハーバー・ボッシュ法による化学肥料の大量生産は農業生産性を飛躍的に高め、世界的な人口増加を支えました。

重要なのは、科学と石油の相互増幅構造です。科学が石油を資源化し、そのエネルギーと富がさらなる科学技術投資を促す。この循環こそが、20世紀文明を加速させた原動力でした。

資本主義と軍事力の爆発的加速

石油は石炭よりもエネルギー密度が高く、液体であるためパイプラインやタンカーによる大量・低コスト輸送が可能です。

さらに内燃機関の発達によって自動車や飛行機が普及し、石油を基盤とする輸送革命が進みます。こうして資本主義は距離の制約を大きく緩和し、地球規模へと拡張しました。石油は1970年代には世界エネルギー供給の約半分を占め、現在も最大級の供給源であり続けています。

この経済的拡張は、軍事力のあり方も変えました。二度の世界大戦以降、戦車・軍用機・潜水艦などの主要兵器は、ほぼ全面的に石油に依存するようになりました。その結果、戦争の帰趨は「石油資源の確保」と「敵の補給路の遮断」に大きく左右されるようになります。

大げさでなく、石油を支配する者が世界を左右するようになったのです。

石油と中東の戦略的価値

石油が国際社会の基盤となるに従い、その埋蔵が偏在する中東地域は、否応なしに世界秩序の最重要拠点となりました。統計的に見れば、中東は世界の石油産出量の約3割を占め、確認埋蔵量に至っては4割から5割が集中しています。

この資源集中は、単なる富の偏在以上の意味を持ちます。とりわけ日本のように原油輸入の約9割を中東に依存している国々にとって、中東の安定は経済安全保障そのものです。供給が途絶えれば、私たちの生活は崩壊します。

こうして主要国、特に米国がこの地域に強く関与するようになります。それは中東の安定が自国の経済的・軍事的優位性に直結するからです。

ペトロダラー体制の構築:石油とドルの結合

「ペトロダラー」とは、石油取引を米ドル建てで行い、産油国が得たドルを米国債や米国金融市場へ再投資する国際的循環構造を指します。

「ドル決済」という世界標準

石油のドル決済とは、価格表示・契約通貨・送金が基本的にドルで行われることを意味します。たとえば日本がサウジアラビアから原油を輸入する場合、円ではなくドルで支払うのが通例です。その結果、各国は石油購入のため恒常的にドルを保有せざるを得ません。

これは単なる商慣行ではなく、「世界がドルを必要とし続ける構造」を生み出してきました。

ニクソン・ショック後の制度化

1945年以降、米国の石油企業が市場を支配していた関係で、石油取引をドルで行うことは国際的な慣行となっていました。しかし、1970年代の危機を契機に、この体制は「制度」として確立されることになります。

1971年、ニクソン大統領が金とドルの交換停止(ニクソン・ショック)を宣言したことで、ドルは金の裏付けを失いました。通貨の信用維持が喫緊の課題となる中、米国は「金」に代わるドルの新たな需要基盤として「石油」を位置づけ、ペトロダラー体制を構築したのです。

1973年の第一次石油危機後、米国はサウジアラビアとの間で次の枠組みを形成しました。

  • 石油販売をドル建てで実施
  • オイルマネーを米国債・米国市場へ投資
  • 米国が王政を軍事的に保護し、最新兵器を供給

この循環により、ドルは「石油購入に不可欠な通貨」という地位を確立します。金の裏付けを失った後も、石油需要という実体経済に支えられることで、米国は通貨発行と世界的資金還流を結びつける構造的優位を獲得しました。

軍事介入と長期的不安定

ペトロダラー体制を維持するためには、石油がドル建てで取引され続けること、そして産油国の体制が親米的であることが前提となります。こうした条件を維持するため、米国による中東への関与が継続的に行われました。

常態化する米国の軍事介入

1980年、米国大統領カーターはカーター・ドクトリンを打ち出し、ペルシャ湾岸を外部勢力が支配しようとする試みを米国の死活的利益への脅威と位置づけました。その後、湾岸戦争を経て、第5艦隊(バーレーン)やアル・ウデイド空軍基地(カタール)などの軍事拠点が恒常化していきます。

イラン革命後のイラン封じ込め、湾岸戦争、イラク戦争も、石油供給の安定と地域安全保障を守る戦略の延長線上にあり、結果としてドル体制とも無関係ではありませんでした。

米国の安全保障戦略に対する長期的不信感

この過程で米国は、理念として掲げる民主主義よりも石油供給の安定を優先します。サウジアラビアの王制支援は、地域の自律的政治発展を抑制する側面を持ちました。

象徴的なのがイランクーデターです。1953年、アメリカCIAが支援したイラン軍部が、石油国有化を進めたモサデグ政権を倒したクーデタは、後の強い反米感情やイスラーム急進主義の台頭を招く一因となり、長期的な不信の連鎖を生みました。

こうして米国の安全保障戦略は、親米体制の維持を実現する一方で、地域に長期的な不安定さを残すという構図を生み出したのです。

レンティア国家の誕生

米国の安全保障傘下で石油輸出中心の構造を維持した結果、中東の産油国には「レンティア国家(不労所得国家)」という体制が定着しました。典型例がアラブ首長国連邦やカタールです。

通常、国民が税金を払う対価として「政治に参加する権利」を求め、それが民主主義を育みます。しかし、石油などの資源収入に頼る国では、政府は国民から税金を取る必要がありません。

その結果、政府は手に入れた富を国民に手厚く分け与える(分配)ことで、国民からの不満を抑え込み、政治的な従順さ(忠誠)を買い取るという構図が生まれます。国民も生活を政府に依存するため、政治を監視し批判する意欲を失い、議会や市民社会の発達が妨げられてしまうのです。

また、資源収入による通貨高と産業偏重が他産業の競争力を奪う「オランダ病」も発生しました。経済の多角化は容易ではありません。

短期的繁栄の裏で、自律的な産業基盤や政治体制の形成が難しくなるという構造的課題が残ったのです。

今後の展望

近年、サウジアラビアが石油決済で人民元などドル以外の通貨利用を模索し、BRICSへの接近を強めている動きは象徴的です。

石油決済の多通貨化は、「石油・ドル・軍事力」が結びついた戦後秩序の再編を意味します。ドル需要が縮小すれば、米国の財政運営や軍事行動にも制約が及ぶ可能性があります。

さらに脱炭素の潮流は、石油の物質的価値そのものを相対化しつつあります。石油が基幹資源でなくなるとき、その上に築かれた体制も再構築を迫られるでしょう。

まとめ

ペトロダラー体制は、「石油供給を安定させたが、中東を自立させなかった」仕組みでした。

安価で安定した石油供給とドル需要の維持が戦後の国際社会を支えた一方で、中東の政治構造を外部に依存させ、レンティア国家として固定化する副作用も残しました。

石油とドルの結合の背後には、科学技術の発展、資本主義の拡張、国家の軍事力が絡み合った社会構造があります。いまその結合が揺らぎ始めていることは、地政学が新たな段階へ移行しつつあることを示しています。

エネルギーを中東に、金融基盤をドルに依存してきた日本にとっても、この変化は決して無関係ではありません。私たちは今、石油と米国に依存することで築いてきた繁栄が、大きな転換点を迎える時代を生きています。

参考文献

ウィリアム・R・クラーク「ペトロダラー戦争」(2013)作品社

マリン・カツサ「コールダー・ウォー」(2015)草思社

松尾昌樹「湾岸産油国-レンティア国家のゆくえ-」(2010)講談社選書メチエ

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