中東の現在1:アメリカ発世界秩序とイスラム世界との摩擦

中東史

前回は、第一次世界大戦を契機とした西欧列強による中東分割と、英仏の国益によって恣意的に引かれた国境線が「人工国家」を生み出した経緯を解説しました。

今回は、第二次世界大戦後にアメリカによって構築された世界秩序が、中東にどのような影響を与えたのか解説していきます。

前半は、中東諸国がいかにして「主権国家」として独立し、なぜ国によって安定と混乱の明暗が劇的に分かれたのかをモデル的に解説します。

後半では、主権国家間の「自由貿易」というシステムが、なぜ中東の土壌において「拒絶反応」を引き起こしてしまうのかを深掘りします。その根本的な原因は、社会を動かす前提条件が全く異なる点にあります。西欧の「人間中心の論理」と、イスラム世界の「神中心の論理」——この二つの価値観が衝突する構造的なカラクリを、分かりやすく紐解いていきます。

アメリカ発世界秩序:「主権国家」と「自由貿易」

1929年の世界恐慌後、世界は英仏を中心とする欧州列強が植民地を支配し、ブロック経済によって排他的な帝国主義秩序を維持する体制にありました。しかし、第二次世界大戦はこの欧州中心の秩序を崩壊させます。戦争で疲弊した欧州列強に代わり、アメリカ合衆国が新たな覇権国として台頭しました。

アメリカ主導で構築された戦後秩序は、帝国主義とは異なり、世界を対等な「主権国家」の集合として再編し、主権国家間の「自由貿易」を基軸とするものでした。この「主権国家」「自由貿易」の枠組みの下で、中東を含む旧植民地や委任統治領は、明確な領域を持つ独立国家として国際社会に組み込まれていきます。【リンク】西欧の現在1:第二次世界大戦後の世界と米ソ冷戦

中東諸国の明暗を分けた「主権国家」

もともと主権国家では、民衆は「国民」として統合され、国家の内部で等しい権利と義務を持つ主体として再定義されるべきものでした。しかし、この欧米型システムを受容した中東諸国は、その社会構造の違いから、二つの異なる道を歩むことになります。

伝統的構造を再編した「世襲君主制国家」

中東において現在も比較的安定した秩序を維持している国々の多くは、サウジアラビア、オマーン、ヨルダン、UAE(アラブ首長国連邦)といった世襲君主制国家です。これらの社会構造を「権威・権力・民衆」の三層で捉えると、伝統的統治構造が、近代国家の枠組みの中で再編・継承されていることが分かります。

  • 権威: 唯一神アッラーとシャリーア(イスラム法)
  • 権力(主権): 宗教的・部族的正統性を背景とする国王や首長
  • 民衆: 部族社会や信徒共同体の延長線上にある国民

特に重要な点は権力の正統性です。ヨルダンのハーシム家は預言者ムハンマドの血統という神聖な権威を、サウジアラビアのサウード家はワッハーブ派との同盟という宗教的正統性を、それぞれ統治の基盤としています。これらの国々では、権力の正統性が選挙という変動的な仕組みにのみ依存せず、歴史的に形成された伝統的権威に支えられているため、社会の基盤が揺らぎにくいという特徴を持っています。

制度的摩擦に苦しむ「共和制国家」

一方、シリア、イラク、イエメンなどでは、深刻な不安定状態が続いています。これらの地域は、第一次世界大戦中の恣意的な国境策定によって分断されたまま、主権国家としての独立を余儀なくされました。

これらの国々では、伝統的な世襲君主制が不在であったか、あるいは革命によってそれを放棄した結果、「国民が主権者である」という政治システムの導入が試みられました。しかし、人工的な国境の下で異なる民族や宗派が強制的に同居させられた社会では、抽象的な「国民主権」は集団を束ねる正統な権威として機能しませんでした。

権威の所在が曖昧となった結果、選挙は社会統合の装置ではなく、宗派間の生存競争を激化させる場へと変質しました。この正統性の欠如を補うために台頭した軍部独裁も、単なる物理的な力による秩序に過ぎず、中央権力が弱まれば即座に治安崩壊や内戦へと転落する脆弱性を抱えることになったのです。

イスラエル・パレスチナにおける権威の衝突

この不適合が最も先鋭化しているのがパレスチナ問題です。欧米主導の秩序は、国連決議という法的権威に基づいて土地の分割を試みました。しかし、そこで実際に衝突したのは国際法というルールではなく、ユダヤ教とイスラム教という二つの「絶対的な宗教的権威」でした。

最終的な正当性を神の約束や聖地の防衛に置く当事者にとっては、世俗的な妥協案によって宗教的権威を上書きすることはできません。たとえ主権国家という西欧的な器を用意したとしても、人々の魂を縛る権威が別の場所にある限り、人間同士の和平合意は本質的に脆弱なものとならざるを得ないのです。

「自由貿易」をめぐる構造的断絶

アメリカ発世界秩序のもう一つの柱「自由貿易」を世界規模で機能させるためには、資本主義や国際法といった共通ルールの整備に加え、経済のエンジンとなる科学技術力が必要です。欧米の主権国家は、実態として資本主義・科学技術・メディアを中心とする「機能的権威」が社会の正当性を担保しています。【リンク】人類の人類の現在:機能的権威の確立

しかし、イスラムの論理が支配する世界では、究極の基準はあくまで神の法(シャリーア)にあります。人間が生み出した経済指標や科学的合理性が、神の定めた普遍的正義を超える「権威」として君臨することは、容易に受け入れられませんでした。これこそが、西欧近代の思考の枠組みとイスラムの論理との間にある構造的断絶です。

権威国民(実態:資本主義・科学技術・メディアアッラー・シャリーア
権力(主権)国民(政治家など国民の代表)国王・首長(神の法の擁護者)
民衆国民(領域内の住民)国民(信徒・神への服従者)

救済不安が生んだ行動原理の違い

マックス・ヴェーバーは、プロテスタントの予定説が「自らが救われるか否か分からない」という「不安」を生み、それを「コントロール」するため、救済の証としての禁欲的労働と隣人愛の実践としての利潤追求が、近代資本主義を生んだと分析しました。

これに対し、社会学者の小室直樹氏は、イスラムには六信五行という具体的義務を果たすことで最後の審判を通過できるという、高い確実性を持つ救済の道筋があると指摘します。このため、西欧で見られた果てしない禁欲的労働と利潤追求は、イスラム世界では発生しません。

契約の絶対性についての違い

西欧では、唯一神との間に結ばれた絶対的な「タテの契約」が、比較的早い段階で人間同士の「ヨコの契約」へと転用されました。西欧封建社会の主従契約も、身分差を前提としながら、相互の義務と権利を明文化し、それを拘束力のあるものとして捉えることで成立していました。神との契約が持つ絶対性が人間同士の契約にも持ち込まれたことで、契約と法に基づく社会秩序が正当化され、安定的に維持される基盤が形成されたのです。 

一方、イスラム法においても契約概念は高度に発達していますが、西欧と異なるのは、人間同士の契約が絶対性を持ち得ない点にあります。最終決定権は常に唯一神アッラーに帰属し、絶対的な契約はあくまで神と人との「タテの契約」に限られます。そのため、人間同士の「ヨコの契約」は、最高法規である憲法を含め、神の意思に優越する絶対的権威とはなりません。すべては「インシャー・アッラー(神の思し召しのままに)」に委ねられるという発想が残存し、これが目的合理性を前提とする企業経営や制度運用を不安定なものにしてきました。

同様の構造は、科学技術の受容にも見られます。スマートフォンや石油掘削技術といったハードウェアは、生活を便利にする実用的手段として積極的に導入されましたが、それらを支える目的合理性や因果的説明を重視する思考様式といったソフトウェアは、社会の正統性を担う原理としては十分に根付きませんでした。この前提の違いが、物理学をはじめとする近代諸科学の体系的発展を制約してきた一因と考えられます。

基準の不一致と歴史的記憶の衝突

こうした構造的不適合の結果、中東諸国は、欧米が重視する「経済効率」や「科学技術力」という尺度では、現代の大国として評価されにくい立場に置かれています。かつて世界に先駆けて高度な文明を誇った歴史的記憶を持つ人々にとって、自国の価値基準が通用しない世界で後塵を拝する現実は、深い屈辱の源泉となりました。

まとめ

中東の近代・現代史とは、地域に根ざしたイスラムと部族の秩序が、国民国家という論理によって暴力的に上書きされた過程でした。世襲君主制国家は、近代的枠組みの中に伝統的権威を再編することで秩序を保っていますが、人工的な国境の下で急進的な近代化を強いられた共和制国家は、今なお権威の正統性をめぐる深刻な不適合に直面しています。

小室直樹氏が指摘したように、西欧近代を駆動させた論理と中東の伝統的論理の間には、容易に埋めがたい構造的相違が存在します。この違いを単なる「遅れ」と捉えるのではなく、文明が持つ思考の前提条件の違いとして理解することが、中東問題を読み解く出発点となるのではないでしょうか。

参考文献

小室直樹「日本人のための宗教原論」(2000)徳間書店

小室直樹「日本人のためのイスラム原論」(2002)集英社インターナショナル

マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫(1989)

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