「不安」と「コントロール欲求」でたどる人類史。
前回、領域国家の運営が文字と貨幣の誕生に繋がったことを確認しました。
今回から2回にわたり、人類最古の文明が花開いたメソポタミアとエジプトという二つの国家が、それぞれどのような不安に直面し、それをどうコントロールしようとしたのかを深掘りしていきます。
第一弾として、「文明の十字路」たるメソポタミアの歴史を辿ります。ここでは、絶えず外部の脅威にさらされ、内部でも民族間の覇権争いが繰り返されました。彼らは、一体何を不安に思い、どうして統一に執着したのでしょうか。
ティグリス・ユーフラテス川がもたらした二重の不安
「メソポタミア」という言葉は、古代ギリシア語に由来しており、直訳すると「川の間の土地」という意味になります。具体的には、以下の2つの単語が組み合わさっています。
- メソ(mesos): 「中間」「〜の間」
- ポタモス(potamos): 「川」
メソポタミアは、その名のとおりティグリス川とユーフラテス川という二つの大河に恵まれた土地でした。
しかし、エジプトのナイル川が比較的穏やかで氾濫の時期も予測しやすかったのに対し、これらの河川の氾濫は予測が非常に難しく、まさに「神の気まぐれ」と呼ぶべきものでした。
河川氾濫という自然の猛威
メソポタミアの農民にとって、収穫の増減を左右するのは、河川による水の恵みにあり、ひとたび河川が氾濫すると予測不能な大災害に直結しました。
そのため、人口が増加し、大規模な灌漑システムが不可欠になると、一都市や一集落では対処できない、大規模な労力と組織力が必要になりました。水を共有し、公平に分配し、そしていつ来るかわからない災害から都市を守る。この根源的な自然への不安をコントロールするために、人々は神権政治という統治システムを選択します。
古くからメソポタミアに定住していたシュメール人が築いた都市国家では、王は守護神の代理人(祭司王)として振る舞いました。神の代理人こそが、天体の運行を読み、暦を作り、水を治め、人々の生活を安定させることができると信じられたのです。神殿を中心とした行政機構が、この複雑な治水事業と余剰生産物の管理を担うことで、不安のコントロールを試みました。
内部紛争と外敵の侵入
メソポタミアは、周辺に広大な砂漠や山地を抱えながらも、エジプトほど強固な地理的障壁(砂漠や海)に守られてはいませんでした。
この肥沃な土地は、常に周辺地域の民族にとって魅力的な略奪の対象となりました。加えて、部族社会の時代に始まった富や資源を巡る争いは、初期国家が形成されても消えることはありませんでした。
- 内部の不安: シュメール人のウル、ウルク、ラガシュといった都市国家は、互いに覇権争いを繰り広げ、絶えず隣接する集団からの武力衝突の不安を抱えていました。
- 外部の不安: 肥沃な河川流域の外縁部には、セム語系民族をはじめとする遊牧民や周辺民族が控えており、彼らは富が蓄積された都市国家に対する侵略者として常に脅威でした。
メソポタミアの歴史は、この絶え間ない「内部抗争」と「外敵の侵入」という二重の軍事的な不安を、いかに終息させ、コントロールするかという欲求の物語でもありました。これに対する答えがメソポタミア統一でした。
メソポタミア統一への欲求(シュメール人 vs セム語系)
メソポタミアにおける初期の覇権争いは、主に古くから定住していたシュメール人と、周辺地域から侵入・定着したセム語系民族という在地勢力同士の闘争史でした。
メソポタミア初の統一国家(アッカド王国の誕生)
長らく都市国家の分立状態にあったメソポタミアで、この不安を初めて軍事力によってコントロールしようとしたのが、セム語系アッカド人のサルゴン1世でした。
彼はシュメール人の都市国家を次々と征服し、紀元前24世紀頃、メソポタミア初の統一国家であるアッカド王国を打ち立てます。
- 克服された不安: これまでの都市国家間の小競り合いが一旦終息し、力による平和がもたらされました。サルゴン1世は、統一によって広範な領域を支配し、資源の管理と流通、そして軍事的な防衛を一元的にコントロールしようとしました。
- 生まれた新たな不安: 統一されたことで、民衆は征服者であるセム語系アッカド人による支配と服従の不安に直面しました。文化や言語が異なる支配層の下で、シュメール人は旧来の自治権を失い、貢納という形で余剰生産物を奪われることになったのです。また、アッカド語が共通語(リンガフランカ)として強制されるなど、文化的アイデンティティの喪失という不安も生まれました。
法による支配(ウル第3王朝と古バビロニア)
アッカド王国の崩壊後、一時的にシュメール人のウル第3王朝が再統一を果たしますが、最終的に再びセム語系民族(アムル人)によって古バビロニアが建国されます。
この時期に生まれた最も重要な統治システムは、「法典」による社会秩序のコントロールでした。これは、権力による支配をより形式的、普遍的なものにしようとする試みです。
| 王朝 | 民族系統 | 法典名 | 不安をコントロールするシステム |
| ウル第3王朝 | シュメール人 | ウルナンム法典 | 金銭による贖罪(「目には金銭で贖う」)を規定し、紛争解決を暴力から取引へと移行させ、報復の連鎖という不安を抑えようとした。 |
| 古バビロニア | セム語系アムル人 | ハンムラビ法典 | 同害復讐法(「目には目を、歯に歯を」)を導入し、階層ごとの罰則を明確にすることで、恣意的な支配という不安を抑制し、「法の支配」への期待を高めた。 |
ハンムラビ法典 は、支配者の権力を神の権威によって正当化しつつ、行政官の役割、契約、婚姻、そして犯罪に対する罰則を明確にしました。これは、支配者と被支配者の間の予期せぬトラブルや恣意的な支配という不安を和らげ、社会全体の予見性を向上させる、画期的なコントロールシステムでした。
超ハイテク兵器の衝撃(インド=ヨーロッパ語系民族の侵入)
メソポタミアの覇権争いは、紀元前16世紀頃から、それまでとは全く異なる種類の不安に直面します。それは、アナトリア半島やイラン高原といった外部からやってきたインド=ヨーロッパ語系民族による侵略です。
この民族移動は、富の略奪という動機だけでなく、「人口増や気候変動によって居住地を追われた」という、より根源的な生存の不安に駆られた集団の圧力でした。
鉄と戦車による侵攻(ヒッタイトの侵攻)
インド=ヨーロッパ語系民族のうちヒッタイトがもたらした最大の不安は、その圧倒的な軍事技術でした。
- 鉄製武器: ヒッタイトは、アナトリア半島で産出された鉄を使い、世界で初めて鉄製武器を使用しました。当時の主流であった青銅器に比べ、軽くて硬い鉄器は、戦闘における優位性というコントロール能力を飛躍的に高めました。
- 戦車(チャリオット): 馬と車を組み合わせたチャリオットは、機動性を劇的に向上させる当時のハイテク兵器でした。
この鉄製武器と戦車を組み合わせた軍事技術によってヒッタイトは、古バビロニアを一気に滅亡に追い込み、続いてメソポタミア北部の強国ミタンニを破り、シリアでエジプトと対峙するまでの巨大な勢力となりました。さらにヒッタイトは、鉄器の技術を門外不出とすることで、軍事的優位性をコントロールしようとしたのです。
BC1200年のカタストロフ
しかし、この強力なヒッタイトも、紀元前1200年頃に東地中海沿岸を襲った大規模な民族移動、通称「海の民」の活動によって滅亡します。
この「BC1200年のカタストロフ」は、メソポタミア、エジプト、ギリシャといった主要な国家を一斉に崩壊へ導いた、人類史における最大の「不安」の一つでした。ヒッタイトの滅亡により、彼らが独占していた製鉄技術は世界各地に流出し、鉄器時代が到来。これは、軍事力のコントロールが特定集団から解放され、新たな競争が始まるきっかけとなりました。
まとめ
メソポタミアの歴史は、予測不能な自然への不安と、絶え間ない民族間の抗争への不安を、統一、神権政治、そして法典によってコントロールしようとする試みの連続でした。
しかし、そのたびに「支配と服従の不安」や「より強力な外敵の不安」といった新たな不安が生まれ、最終的には「海の民」というグローバルな不安によって、初期の秩序は一度ご破算となります。
次回は、これとは対照的に、安定した地理的条件の下で長期的な統一を達成したエジプト王朝の変遷を、「不安」と「コントロール欲求」の視点から紐解いていきます。お楽しみに!

