私の愚痴からみる日本史2 クリスマスツリーとイルミネーション

テーマ史

冬の澄んだ夜空。街を包み込むイルミネーション

その下には、毎年のように多くの男女が集います。弾けんばかりの笑顔、笑顔そして笑顔。

しかし、光が強ければ強いほど、その陰で佇む根暗な私の存在感は増すばかり。その光は、まるで私の心の闇を照らす踏み絵のよう・・・

どうも!年末にかけて愚痴が多くなるブロガーPONです!

今回は、この私を苦しめる光の正体を暴くため、クリスマスツリーとイルミネーションに焦点を当て、歴史的な視点から対峙します!

クリスマスツリーとイルミネーションの歴史は、切っても切れない関係にあります。ツリーは、従来の光の装飾と決定的に異なる「物体」を光で際立たせるという革新的な発想を生み、これが電気という新技術と結びつくことで、やがてツリーから街全体を飾るという壮大な思想へと発展し、現代のイルミネーション文化の基盤となりました。

 それではみていきましょう!

古代の光の祭典:「空間」を光で演出する文化

人類は古来より、夜を照らすために火を使ってきました。古代エジプトの灯から、中世のランタン、アジアの灯籠、インドのディワリなどなど。

これらは実用目的だけでなく、儀式や祭りの場で灯され、神聖さや荘厳さといった非日常を演出する「場を彩る手段」として利用されてきました。

クリスマスツリーの革新:「物体」を光で際立たせる文化

クリスマスツリーは、それまでの光の文化を根底から覆し、現代のイルミネーションの基礎となる革新をもたらしました。

クリスマスツリーの起源

もともとツリーは、キリスト教ではなく、冬至の祭りと自然信仰に起源を持つと言われています。

  • 起源:古代ローマの冬至祭(サトゥルナリア祭)や、北欧・ゲルマンの冬至・冬祭における、常緑樹や常緑の枝を飾る習俗に遡ります。
  • 象徴性:冬の暗さと寒さに対する青々とした緑は、永遠の命や再生の力を象徴していました。

クリスマスツリーが生んだ光の革新:物体を光で際立たせる

こうした思想的基盤のもと、16世紀頃のドイツでツリーの文化が確立していきます。

イルミネーションの直接的な起源は、このツリーの枝にろうそくの光を灯す慣習でした。この行為こそが、文化史的な大転換点となります。ツリーという物体を光で覆い包むという新しい光の使い方が、街路樹や建物に光を沿わせる物体に付随した光の装飾という現代のイルミネーションの根本的な概念を確立したのです。

「光の使い方」の決定的な対比

それまでの祭典とクリスマスツリーにおける光の役割には、以下の通り決定的な違いが存在します。

  • 古代の光:「空間」を光で演出する
  • クリスマスツリー:「物体」を光で際立たせる

それまでの祭りでは、光そのものが主役でした。光は、空間(道や広場)を神聖な場として聖別し、演出するために、置かれたり、吊るされたりしていました。

それに対し、クリスマスツリーでは、光が木に直接くくりつけられました。この行為により、木そのものが光で作品化され、主役として創り上げられます。この「物体を光で覆い包む」という新しい概念こそが、現代のイルミネーションの根幹を築いたのです。

電球の発明で広がったクリスマスツリー

しかし、ろうそくによる装飾は、常に火災の危険性を伴い、ツリーを一般家庭や公共空間に広げる上での最大の障壁でした。この限界を打ち破ったのが、19世紀末の電気革命です。

  • 世界初の電飾ツリー(1882年): エジソンの友人が、自宅のクリスマスツリーに電球を飾り付けました。

この出来事により「光で飾る」という概念が、安全かつ広範囲に普及する道筋が確立され、火災の危険なく光で飾る電飾技術が世界に広がるきっかけとなりました。

クリスマスツリーからイルミネーションへ

光で物体を飾る電飾技術は、すぐに小さな光源を多数つなぎ、物体に巻きつける・固定する技術として応用され、家庭を飛び出し、都市の演出へと応用されます。

  • シカゴ万国博覧会(1893年): 会場全体が電球で照らされた電気による街の風景は、人々に都市の未来像として強い憧れを与えました。これにより、イルミネーションは単なる家庭の装飾ではなく、都市の夜景、観光、そして未来の技術力を象徴するものとして位置づけられました。
  • パリ万国博覧会(1900年): 大規模なライトアップにより、イルミネーションは芸術化され、都市ブランドとしての価値を世界中に広めました。

【写真】シカゴ万国博覧会(1893年)の様子

General Electric(GE)による「ライトストリング」(ひも状のコードに複数の電球が等間隔に配置された装飾用照明)の商品化も相まって、イルミネーションはツリーという媒体から完全に独立し、都市全体を光で際立たせる文化として定着しました。ツリーで確立された「物体を光で覆い包む」という発想が、街路樹や建物へとスケールを拡大したのです。

5. 大規模化・多様化するイルミネーション

現代に至るまで、イルミネーションは技術革新によってさらに大規模化・多様化しています。

  • LEDの登場: 省エネで長寿命なLEDライトの普及は、イルミネーションをより安価かつ環境に配慮した形で、一般家庭や地方都市にまで一般化・大規模化させました。
  • 体験型への進化: 音楽との同期、プロジェクションマッピング、インタラクティブ(体験型)な演出など、技術が高度化。イルミネーションは都市の景観を創出するだけでなく、集客力のある冬のエンターテインメントへと進化しました。

日本におけるクリスマスツリーとイルミネーションの歴史

日本は、西欧でツリーを通じて確立された「物体を光で飾る」という概念と、万博で確立された「街全体を飾る」という思想を、電球で安全に装飾する技術とともにパッケージとして受容し、独自の発展を遂げました。

「光で飾る」と「街全体を飾る」思想の初期導入

  • ツリーとイルミネーションの起源: 1860年(幕末)にプロイセン公使館でツリーが飾られたのが最古の記録ですが、本格的な導入は、1886年の横浜明治屋によるツリー飾りが日本で最初の商業的ツリーとされ、1904年の銀座本店でのライトアップが商業的イルミネーションの先駆けとなりました。当時の新聞には「京橋銀座二丁目のキリンビール明治屋にては…毎夜イルミネーションを点じつつあり」(1904年12月17日『日本新聞』)とあります。
  • 「街全体を飾る」の導入: 1900年の神戸沖観艦式での軍艦の電飾や、1903年の大阪の第5回内国勧業博覧会での光の装飾は、国威や未来の都市像を示すために大規模な電飾が利用され、地方からの訪問者に強い憧れを抱かせました。

【写真】第5回内国勧業博覧会(1903年)の様子

日本のイルミネーション導入のスピードは驚異的です。

世界初の電飾ツリー誕生から約20年後、シカゴ万博から10年後の内国勧業博覧会で電飾の街が披露され、翌1904年には銀座で商業用電飾が始まったという事実。

これは、アメリカの公共施設(マディソン・スクエア・パーク)で初となるイルミネーション開始が1912年、ロックフェラー・センターでのイルミネーション開始が1933年であることを考えると、日本でのイルミネーション導入が世界的に見ても最初期の段階であったことを示しています。

光やイルミネーションといったキラキラしたものに対する憧れは、洋の東西を問わず人間の本質的な部分に依っているのかもしれません。

明治屋の電飾に倣い、他のデパートもイルミネーションを歳末商戦と結びつけ、明治から大正にかけて「銀座の風物詩」として定着しました。

昭和初期には、電飾が既に一般化・大規模化しており、昭和7年(1932年)の白木屋火災は、集客を優先した華美な装飾(クリスマスや年末商戦の飾り付け)が、店内の通路を狭めたり、燃えやすい素材を多用したりしたことで、火災の延焼を早め、避難を困難にするなど、被害を悪化させた一因とされています。

その後、第二次世界大戦の激化により、電力統制のもとで華美な電飾文化は一時的に完全に途絶しました。

経済成長と消費社会におけるイルミネーション

戦後、イルミネーションは急速に復活し、日本の経済成長と消費文化の変遷とともに発展を遂げます。

  • 戦後の解放と消費の装置へ:戦後すぐのデパートの電飾復活は、戦時下の抑圧から解放された都市生活者の「夜の娯楽」を演出し、希望の象徴となりました。高度経済成長期における核家族化を背景に、ツリーとイルミネーションは「家族だんらん」を視覚的に彩る「家庭の祝祭」の必須アイテムとなっていきました。
  • 「恋愛消費イベント」への変貌(1970年代〜バブル期):雑誌やJR東海などの広告戦略により、「クリスマスは恋人と過ごすもの」という価値観が定着。イルミネーションは、その恋愛消費イベントの「舞台装置」として、日本の都市景観をロマンチックに彩る中心的な存在へと完成されました。

地域イベントと公共性への進化

1980年代以降、日本のイルミネーションは、商業主義の枠を超え、地域振興や公共性の高いイベントへと進化します。

  • 地域主導型イベントの誕生:1981年のさっぽろホワイトイルミネーションや1986年のSENDAI光のページェントが始まり、自治体や市民団体が主導するイベントが全国に広がり、イルミネーションが観光資源となり、都市のアイデンティティを表現する文化となりました。
  • 公共的なメッセージの獲得:1995年の神戸ルミナリエは、阪神・淡路大震災の犠牲者への鎮魂と復興への希望を象徴する光として開催され、イルミネーションが娯楽を超えた公共性の高いメッセージを伝える側面を獲得しました。

【写真】さっぽろホワイトイルミネーション(左)、SENDAI光のページェント(右)、神戸ルミナリエ(下)

現在、イルミネーションは、技術の進化(LED化)と演出の高度化(体験型)により、全国の都市・地方で「冬の恒例イベント」として完全に定着しています。

まとめ

古代の光の祭りが「空間」を演出したのに対し、クリスマスツリーは「物体そのものを光で飾る」という概念を世界で初めて発明しました。

この革新的な概念が、電気という安全な技術と結びつき、ツリーの装飾技術が街路樹や建物へと応用・拡大されることで、現代のイルミネーション文化は誕生したのです。

イルミネーションの直接の源流は、間違いなくクリスマスツリーであり、両者は、現在進行形で光の装飾文化を発展させ続けています。

若い男女がイチャイチャしながら街で見上げるイルミネーションは、遠い昔、一本の木に灯されたささやかなろうそくの光から始まった、壮大な光の概念の革命史を物語っているのです。

そのように考えると、クリスマスツリーやイルミネーションに対して、恋愛の舞台装置を超えた、ある種の感慨を持って接することができるような気がします。

参考文献・サイト

木下純子「クリスマス消費の変容に関する研究」神戸大学学術成果リポジトリ

「日本初のクリスマスツリー」はいつ⇒「江戸末期(1860年ごろ)」説が有力? 起源を探った | ハフポスト NEWS

デパート火災余話 | 東京消防庁

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