バンド社会:ホモ・サピエンスの到達と最初の社会

人類史

私たちの祖先は、数十万年にわたる壮大な旅「グレートジャーニー」の末、日本列島という新たな大地にたどり着きました。彼らが最初につくった社会は、数人から数十人の小規模な移動集団であるバンド社会でした。

バンド社会は、厳しい自然環境に立ち向かうための合理的な選択でした。獲物を追い、食料を確保する生活は、常に生存の不確実性という根源的な不安にさらされていたのです。この不安を解消し、自分たちの運命をコントロールしたいという強い欲求が、バンド社会の形成を促しました。

日本列島にホモ・サピエンスがやってきた

日本にいつ頃から人類が住み始めたのか?現在、島根県の砂原遺跡から12〜11万年前、岩手県の金取遺跡から9万年前にさかのぼる可能性のある石器が発見されていますが、その年代や人類の種類については学界で議論されています。もしこれらが正しければ、私たちホモ・サピエンスとは異なる種(例えば、デニソワ人など)が残したものと考えられます。

それでは、私たちの直接の祖先ホモ・サピエンスはいつ頃日本に到達したのでしょうか?約30万年前にアフリカで誕生したホモ・サピエンスは、約7万〜6万年前にアフリカを出て、地球全体へと拡散しました。その結果、約38,000年前に日本列島へ到達したと考えられています。

最近、広島県の冠遺跡から約42,000年前の石器が発見され、到達時期がさらにさかのぼる可能性も指摘されています。しかし、この石器がホモ・サピエンスによるものかはまだ議論があり、日本にある1万か所を超える旧石器時代の遺跡のほとんどが約38,000年前以降のものであることから、日本列島での本格的な生活は、やはりこの時期から始まったと考えられます。

当時の人々は、主に3つのルートで日本へやって来ました。

  • 北海道ルート: シベリアからサハリン(樺太)を経由し、陸続きだった北海道へ。
  • 対馬ルート: 朝鮮半島から対馬を経由し、北部九州へ。
  • 琉球ルート: 台湾から当時の陸橋でつながっていた琉球列島を経由し、九州へ。

彼らは、ナウマンゾウオオツノジカマンモスといった大型の寒冷地動物を追って、この地へたどり着いたと考えられています。

大型動物が闊歩する最終氷期の日本

当時の日本列島は最終氷期という寒冷な時期を迎え、氷期と間氷期の繰り返しによって劇的な地理的変化を経験しました。特に約2万年前をピークとする最終氷期極大期には、地球上の水分が氷河として陸上に固定されたため、海面が現在より約100〜140メートルも低下しました。

この海面低下により、現在海で隔てられている地域が陸地でつながり、上記3つのルートが可能になりました。瀬戸内海はほとんどが陸地になり、大きな川が流れる平野となりました。日本海も閉鎖的な「古日本海」となり、水深が浅くなりました。

この時期、日本列島は現在よりも広大で、北方は寒冷な針葉樹林や草原が広がり、本州以南も冷涼な気候でした。そのため、ナウマンゾウやオオツノジカが闊歩する、現代とは全く異なる風景が広がっていました。

先進的な石器製作技術

厳しい自然を生き抜くため、人々は高度な打製石器を作り出しました。これらは、自然の脅威を克服し、生存をコントロールしようとする彼らの知恵と技術の結晶です。また、日本列島では、世界的に見ても早い時期から磨製石器も使用していました。

  • 前期(約3万8千年前〜)
    • 打製石器: ナイフ形石器尖頭器が広く使われました。ナイフ形石器は多目的に、尖頭器は大型動物を狩る槍の穂先として活躍しました。群馬県の岩宿遺跡からは、これらの石器が多数発見されています。
    • 磨製石器: この時期の地層から、刃先を研いで鋭利にした石器(局部磨製石器)も全国各地で見つかっています。これは、世界的にも最古級の磨製石器であり、木を加工する道具だったと考えられています。これ以降旧石器時代全般に見られます。
  • 中期(約2万年前〜)
    • ナイフ形石器の多様化: 地域ごとに独自の様式がさらに発展しました。
    • 彫刻刀形石器・掻器: 骨や角を加工する彫刻刀形石器や、動物の皮をなめす掻器など、より専門的な用途を持つ石器も登場しました。
  • 後期(約1万6千年前〜)
    • 細石器: 後期旧石器時代から縄文時代への移行期に爆発的に普及しました。気候が温暖化して大型動物が減少すると、人々は細かい石刃を組み合わせることで、より効率的な狩猟具(弓矢など)を作るようになりました。

バンド社会を支えた信頼と信仰

約3.8万年前以降、日本列島に生きた人々は、獲物の有無、天候不順、猛獣の襲撃といった予測不能な自然の脅威に常に直面していました。その不安を解消し、集団の生存を確実にしたいという根源的な「コントロール欲求」が、バンド社会の秩序を形作りました。

この欲求は、経験豊富な長老や卓越した狩猟者、あるいはシャーマン的な役割を持つ者への信頼を生み出しました。彼らは個人の能力や特別な力によって集団内の信頼を得て、意思決定や儀式を主導する個人的な権威として機能しました。

また、人々は自然界の森羅万象に霊魂が宿ると考えるアニミズム的な信仰を持っていたと推測されています。こうした聖なるものへの畏敬の念は、人々の不安を鎮め、コントロール欲求を満たす対象となっていたのです。

  • 権威:身の回りの自然全般、長老、卓越した狩猟者、シャーマン的な役割を持つ者
  • 人々:バンドを構成する人々

このような信仰や信頼を直接示す文字や記録はありませんが、埋葬の痕跡や呪術的な装飾品から、当時の人々が精神的な拠り所を求めていたことが推測できます。沖縄県の港川人の複数の人骨がまとまって発見されたことや、同じく沖縄県のサキタリ洞遺跡で見つかった貝殻製の装飾品は、この見えない力がバンド社会の結束と生存を支えていた証拠だと考えられます。

まとめ

日本列島におけるバンド社会は、生存の不確実性という根源的な「不安」を抱えながらも、その不安を「コントロールしたい」という強い欲求によって、社会構造、技術、そして信仰を築き上げました。

しかし、このバンド社会も永遠ではありませんでした。約1万6千年前に最終氷期が終わり、地球が温暖化に向かうと、日本列島は大陸から切り離され、豊かな森と海の恵みがもたらされました。これにより、人々は定住生活を始め、縄文時代へと移行していくことになります。

バンド社会で培われた狩猟採集の知恵やアニミズム的な世界観は、縄文時代の新たな社会基盤に引き継がれ、次なる不安、すなわち「食料の安定供給」や「共同体の秩序」というコントロール欲求が生まれていったのです。

 〈 前へ 次へ 〉

タイトルとURLをコピーしました